ライカ親爺のうんちく(まだ、やります)

2016年9月18日

シンクロ撮影
ライカ発売当初は、ストロボやフラッシュ撮影は対応できなかった。まず、ストロボ自体が存在せず、フラッシュバルブも電球自体が無く、マグネシュウム粉を使ったポンだき状態だった。1930年代に、フラッシュバルブ(閃光電球)が発売されたが、シャッターに同調することが出来ず、間に合わせで同調させる時代が続いた。底蓋にフラッシュガンが取り付けられ、シャッターブレーキのタイミングで同調させたものや、高速シャッターダイヤルに3カ所凸部のあるものに交換して、ダイヤルの回転に合わせて同調させることが続いた。フラッシュバルブには、ガラスの破損防止にビニールコーティングがされているが、戦前にはされておらず、破片が飛び散ることが多かったので、飛び散ったら現場から一目散に逃げたという話を、大先輩からお聞きしたことがある。
戦後、Ⅲfからシンクロ同調が可能になった。高速ダイヤルの下に、コンタクトナンバーという数字がある。使用するフラッシュバルブに対応する数字を合わせ、使うのだが完璧な同調となり、製造のばらつきもわかるほどだったという。生産途中で、シャッタースピードの変更があり、初期はコンタクトナンバーが黒、後期は赤にペイントされている。ストロボの場合、ブラックシンクロは1/30で2にセット、レッドダイヤルは1/50で20にセットすることで撮影が可能になる。なお、36万番台からのシンクロ改造品は、コンタクトナンバーが異なるので、注意されたい。
フラッシュバルブは、糸状にした発光材入っており、瞬間的に燃えるのではない。このため光量がピークに達した時に、シャッターが走り始め、閉じるときに燃え尽きる必要がある。ストロボは、瞬間的に光るので、シャッターが全開している時に光ればよい。このため、シンクロのタイミング調整が必要になる。このため、Ⅲfでは、各々の調整を行った。
Ⅲgになって、各々の調整をせずに撮影が可能になった。国内メーカーのカメラでは、接点は同じで、切り替えスイッチのあるものや、X接点(ストロボ)とFP接点(フォーカルプレーンシャッター用閃光電球)の2つの接点のあるカメラが存在する。ライカも時代に伴い、M4-Pの末期からFP接点が廃止され、X接点のみとなり、ホットシューと2カ所になった。
フラッシュバルブは、プリントゴッコにも使われた。フラッシュバルブは知らなくても、プリントゴッコを知っている世代と、知っている物が逆の世代がいる。あなたはどちら?
あっ、すみませせん、どちらもご存知でしたね!

 

ⅢGのダイヤル。コンタクトナンバーが無い

3g

 

ⅠFのダイヤル。レッドダイヤルタイプ

1f

 

 

 

 


【中古品入荷情報】 ツァイス 10×40B/GA T*P ClassiC

2016年9月16日

ご覧いただきありがとうございます。

レモン社新宿店の中の人です。

 

中古商品新入荷のご案内

カールツァイス 10×40B/GA T*P ClassiC 西ドイツ製

製造年は不明ですが、東西ドイツが統合する前の西ドイツにて製造されているモデルです。

(West Germany表記有り、統合後はGermany表記に変更になります。)

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商品ランク:【AB】

保 証:なし ※初期不良1週間(7日間)

販売価格:¥108,000(税込) ※2016年9月16日現在

付属品:ケース、接眼キャップ

商品コード:2111020111824

 

バードウォッチャーには非常に有名な双眼鏡です。

現在の製品ラインナップにはありませんが、ClassiCシリーズのうちのひとつです。

対象が浮き出て見えるような圧巻の高画質は必見です。

 

デザインは古風な感じで、全体にがっちりとラバーで被覆されており安心感があります。

持った感じ重さもそれほど感じず、しっかりグリップできる印象。

ダイヤルもスムーズで、かつ緩すぎず回しやすいです。

レンズに傷などもなく良好なコンディションだと思われます。

 

実際に覗いてみると、コントラストが強く非常にシャープな見え方で、びっくりするくらい明るい。

思わず「おぉー」と声が出そうになります。

特に暗部に関しては、目視では暗くて見えにくいところでも非常に明るくクリアに見ることが出来ます。

視野も比較的広く、歪みや像の崩れはさほど気になりません。(※個人の主観です)

逆光に弱いという評判ですので、スポットライトを見てみたところ、やはりライト周辺には若干ですがゴーストが発生。

屋外での野鳥観察、または天体観察時には強い光を入れないように注意する方が良いかもしれません。

 

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お問合せはレモン社新宿店
又はナニワオンラインまで

みなみ

 


中判カメラ買取強化中です!

2016年9月1日

世間様ではカメラと云えばデジタルカメラが当たり前(ひょっとするとスマホの機能の一つくらいの認識かも)のご時世ですが、9月のレモン社は敢えて中判カメラ関連のキャンペーンで推して参ります!只今中判カメラ買取強化中です

中判カメラ買取強化

国産も舶来も大歓迎ですっ!

すっかり出番が無くなったなぁ・・・なんて中判カメラをお持ちの方、是非この機会にレモン社の買取をご利用下さいませ。デジタルから写真を始めた若い方達が、実は中判カメラに熱い視線を送ってたりするものです。次の世代への機材の引き継ぎ、レモン社がお手伝いいたします。

これから中判カメラを始めたいと云う初心者さんへは、レモン社スタッフがフィルムの入れ方から使い方までしっかりご説明差し上げます。9月は店頭で「初めての中判セール」を開催中です。期間中に中判カメラをご購入いただいたお客様に、ブローニーフィルム1本(当社指定カラーネガ)とオリジナルラッピングクロスをプレゼントいたします。
この機会に是非、中判デビューを果たしてみませんか?
レモン社が中判デビューを応援いたします!


中古品入荷情報

2016年8月23日

新入荷のご案内!
中古品で、アポズミクロン50/2ASPHが入荷しました。
初代M用ズミクロン50ミリ(固定鏡筒)は、アサヒカメラニューフェース診断室史上、最高の解像力を示しており、その性能に肉薄した物はありますが、国産レンズで、それを越した物はありません。世代が変わるにしたがって、評価が微妙に変わっていますが、ズミクロンのブランドを貶める物ではありません。そのズミクロンをアポレンズ化し、そして非球面化まで行い、今まで以上に性能向上をしています。無論、価格も、これでもか!!!!という位上がりました。でも、ライカの生産量と材料と、そしてクラフトマンシップという手間をかけて作っていることを考えると、やむを得ないかもしれません。フード内蔵になる前のズミクロンを使っていましたが(もう手元にはありません)前ボケがガチャガチャせず、なだらかだったことを覚えています。某社の一眼レフ用F1.7~2クラスの標準レンズを使った時、一眼用と距離計用のレンズの違いはありますが、それなりの評価のあるレンズにも関わらず、あまりにも前ボケがガチャガチャでショックを受け、“捨てた”ことが有ります。アポズミクロンは、そのようなことは無論なく、気持ちいいボケに感じます。また、当たり前ですが、前ボケに汚さは感じません。アポと非球面の威力でしょう。広角系は非球面化を、望遠系はアポレンズ採用し、高性能化とデジタル対応を進めているM型レンズの中で、ズミクロン50ミリに、非球面とアポレンズの両方を採用したことは今までのズミクロンを廃盤にせず(ホームページ上にあり、2016年5月現在のライカジャパンの価格表にも載っています)ズマリットシリーズにも50ミリがあり、ズミルックスや、ノクチルックスの計4種類もの標準レンズを作っていることを考えると、ライカ社の思想が、見えてきませんか?
(ボケについては、私個人の評価ですので、ご理解ください。)
L1000913L1000900

 

全て絞り開放。jpegで撮影。Mマウントデジタルカメラにて撮影

 

 


ライカ親爺のうんちく(何回目?)

2016年8月13日

発展に寄与された方々

アメリカに次ぐライカ市場としての日本だが、これだけ発展させるために、活躍された方々がいらっしゃる。
1、 パウルシュミット
言わずもがな、シュミット商店(戦前の社名)の創業者である。何社かの日本総代理店の看板を上げた中に、顕微鏡のライツ社があり、ライカカメラの販売をすることとなった。昭和12年シュミット商店の上海支店へ出張中に、亡くなられた。彼の箱根の別荘別荘は、箱根駅伝のスタート地になっている。
2、 北野邦雄
月刊光画という雑誌を戦前から発行して、今でいうメカニズムライター的な事をされている。M3が発表された、1954年のフォトキナで、現地から5月号発売に間に合うように、資料を入手し、航空便で原稿を送ったという。今なら、ネットとメールで即日の世界だ。当時の現地の雑誌には、ドイツ人より、上手にドイツ語を話す日本人と紹介されたという話があるが、東京外語大を卒業され、陸軍軍医学校等でドイツ語の教師をなさっていたので、当たり前である。
3、木村伊兵衛
ライカで写真を撮る人間にとって、彼の名前を知らなければ、もぐりと言われてもしょうがない。東京の日暮里で写真館をしていたが、ツェッぺリン飛行船のニュース映画を見てライカを買った。それまでは、コンタックスを使っていたという話を聞いたことがあるが、わからない。
4、佐和九郎
この名前を知っていたら、ビョーキである。アサヒカメラに彼が書いたライカとコンタックスの比較記事が、コンタックス寄りだったために、ライカ愛好者からの非難を受けて、シュミット商店が出したのが、降りかかる火の粉は払わねばならないというパンフレットになる。ライカコンタックス戦争は日本だけで起こったことで、本国では、起こらなかった。その後、戦火の拡大に伴い、民需向けは、両社ともに輸入禁止となる。佐和九郎はペンネームで、銀座にあった黒澤タイプライターの主人である。彼は、戦後もカメラ雑誌上で活躍した。
5、明石正巳と井上鐘
明石はシュミットの写真部長として、井上はパウルシュミット亡き後社長として、活躍をされた。戦前のシュミット商店の出したパンフレットは、ほとんど井上が文章を書いたとされる。明石がその後を引き継いだ。明石は、シュミット解散後、フォトハウスアカシを開いた。シュミットはドイツワインも扱い、現在のドイツワイン輸入業者は、たどっていくと、シュミットのワイン部に繋がるとさえ言われる。

他にも、たくさんの先人がいらっしゃる。機会を見つけてご紹介したい。
(敬称略)

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写真工業出版 ライカの歴史より借用