その頃、僕が海外出張中に当時最新型のNikon F4Sが壊れて、たまたま持参していたニッカというクラカメを使って仕事写真を撮り、無事に帰国したというお話と、“名機礼賛”という本のお話を業界紙に書いたことから、著者である田中長徳先生とも出会い、いよいよクラカメの世界、それもライカの世界へと入り込んだのであります。
バルナックライカから始まり、M3、M5、M6、M7…そしてデジのライカM8、M9、M240へと続いております。それと並行して昔から大好きな立体写真も更に深く勉強するようになりました。
ここでちょっとステレオカメラの基本もお勉強しておきましょう。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より/山縣が加筆)
ステレオカメラ (stereo camera) とは、複数の異なる位置からおなじ対象物を同時に撮影する事により、その奥行き方向の情報を記録する事を可能とするカメラの事です。通常は二つのレンズが一定の間隔にならんでいて、一回の撮影操作で微妙に異なるアングルの二枚の写真を一度に撮影する事が可能である物を指します。通常のカメラでは、単一の平面に像を投影して撮影するため、奥行き方向の情報は失われてしまいますが、ステレオカメラでの撮影では、物体を直接見たように立体的な空間把握のできる立体写真を得ることができるのです。ステレオカメラで撮った画像から奥行き方向の情報が再現される原理については、両眼視差も参照にして下さい。交通事故捜査・労災事故の捜査などにも威力を発揮しています。最近では胃カメラも立体写真が撮れるようになっていますね。
過去にカメラメーカーからもステレオカメラは発売されていましたが、その種類は少ないです。また、通常のカメラのレンズに装着し、立体写真を取れるようにするアダプタも存在します。現像された画像は何も使わない立体視(平行法と交差法)によっても立体的に見られますが、専用のスコープによって容易に立体視が可能です。
両眼視差 (りょうがんしさ、英:Binocular parallax, Binocular disparity) とは、右目と左目で見える像の差異のことです。厳密に訳すならばBinocular parallaxが両眼視差であり、Binocular disparityは両眼像差と言うべきですかね。しかし、日本語においては単に両眼視差と言った場合、Binocular disparity のことを指すことが多いようです。単に視差と呼ぶこともあります。この両眼視差から奥行きを知覚することができるのです。
上図のように物体を見る時、右目と左目で物体の方向が異なります。眼球は物体の方向に向くため、眼球の角度が奥行きの認識の指標となります。また、物体から見て右目と左目とのなす角を輻輳角(ふくそうかく)と呼びます。
目のすぐ近くにある物体は右目と左目で見るのでは像が異なります。その差異によって立体の奥行きを認識することができるのです。しかし、あまりに目に近い場合は両眼の像を結合できず物体が二重になって見えるようになりますね。また、眼球が物体の方向に向けられなくなることもあります。
立体視の方式には、赤青メガネで見る“アナグリフ方式”( Anaglyph)、ギザギザのレンズを貼った“レンチキュラー方式”(Lenticular)があります。
また、ステレオ写真(カメラ)を愛した有名人としては、徳川慶喜、萩原朔太郎、横尾忠則、アイゼンハワー(米)大統領、映画俳優のハロルド・ロイド、赤瀬川源平さんなどが有名です。
ちょっと萩原朔太郎のことを書いておきましょうね。
この写真も萩原朔太郎が撮影したものですが、この人、大森に住んでいたことがあるらしく、この場所は大森の暗闇坂と言われた場所です。
萩原朔太郎、群馬県前橋生まれの詩人・萩原朔太郎の残したガラス乾板75枚(うち立体写真用34枚)とフィルムネガ7枚、その他14枚の計96枚から、74枚の写真を掲載。1972年に萩原が生前撮影した写真原板が遺族の元に保管されていることが確認され、翌年「萩原朔太郎展」(前橋市)で初めて一般公開された。以後、萩原朔太郎研究会により調査研究が進められ、その成果である本書には、家族の写真や、出身地・前橋の風景(市街、前橋公園、利根川河畔、郊外の情景)、セルフポートレイト、東京時代や旅の折々のスナップなど、さりげない視線でとられた写真が収められている。
撮影場所 : 群馬県前橋市/東京都/大阪府 使用カメラ:フランス製のステレオスコープ
「感覚のモダン 朔太郎・潤一郎・賢治・乱歩」
高橋世織
せりか書房 2003年 初版 カバー 帯
19.5×13.5cm 274p 状態:概ね良好
帯文より / 自然主義的リアリズムに抗い、様々なメディアを媒介に感覚の錯乱を創造の武器として世界を幻視した四人の表現者に一九二〇年代モダニズム文学の真髄を探る。
以上がこちらの本のご紹介ですが、更に僕が持っている『萩原朔太郎写真集・のすたるぢあ』という本もご紹介しておきます。上に掲載した他にもサイズが違うと思われる作品も何点か掲載されておりますから、何種類かの立体カメラを使っていたのかと思われます。娘さんで作家の萩原葉子さんが“父と立体写真”という内容の前書きを書かれておりまして、それを読む限りでは本当に立体写真の好きな人であり、珍しい物好きでもあり、息を引き取る寸前の病床にあっても、枕元にはビューワーが置かれていたそうです。(僕もそうありたいですね)
同じ大森に住んでいたということもありますが、僕はますます自分と朔太郎の共通点を感じると共に、朔太郎の残した写真があまりに少ないですから、もっと立体写真を撮らなくては…と強く感じました。
後書きを書かれている萩原朔美氏が、朔太郎本人のポートレートは誰が撮ったのか?誰がシャッターを切ったのか謎である…とも書かれていますが、当時はセルフ撮影の装置は無かったのでしょうか?
この本を読んでみても朔太郎の使用したカメラを特定することは出来ませんでした。
また、私は同じ大森に住んでいるので朔太郎にますます自分が重なったと書いておりますが、私と朔太郎の決定的な違いは、私は“詩”も書きませんし、こんな根暗な写真も撮りません。娘さんがおられるということは、奥さんがいてご家族があったわけですから、もっと多くの家庭的な写真も撮っていたのだろうと思いますが、それらは消滅したのでしょうか?…後で知ったのですが、朔太郎の遺品を預かっていた親戚の家が火事になり、多くの写真が失われたそうです。
皆さんも興味がありましたらこんな本がありますので、お勧めします。
1994年に新潮社から発行された萩原朔太郎写真作品「のすたるじあ」 定価1600円
次に、つづく。
山縣敏憲様寄稿文