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【コラム】カメラ今昔物語 【キヤノン編】

こんにちは心斎橋買取センターの たつみ です

今回は、キヤノンのオートフォーカス一眼レフ(以下AF一眼)にまつわるお話を致します

先見性と高い技術力

【キヤノンのAF一眼と言えばEOS】

というように写真を趣味にしている方は勿論、そうでない方にも

【EOS】は広く認知されており今やスーパーブランドになっています

そのEOSの初号機EOS650が発売されたのが今から31年前の1987年、キヤノン創立50年目の節目でした。

当時主流であったボディ内駆動(レンズを動かすモーターがカメラ側にある方式)とは一線を画し、レンズにモーターを組み込む方式で登場し、他社には無いその圧倒的な駆動スピードと後のUSMモーターの静かさは非常に多くのファンを作りトップメーカーの地位を揺るぎない物にしていきます

現在のEOSシリーズまで脈々と受け継がれているEFマウント。
発売当初から大幅な改良を施された事はなく、当時の技術力の高さと将来の拡張性を見越した設計、それもこれもEFマウント以前のFD方式では「もはや限界」という所まで来ていたのが一番の要因かと・・・そのあたりを当時の時代背景と合わせてご紹介します。


ライバルと既存方式へのこだわり

今や絶対的な強みを見せているキヤノンですが、AF一眼では少し苦いスタートを切ります

EOSシリーズを発売する2年前の1985年4月・・・キヤノンは同社として初のAF一眼レフを発売しました。

その機種が 【アートロボ】T-80。 ※ちなみにアートロボは愛称です

当時はキヤノンはFDと呼ばれるマウントを採用し、それまで幾つものヒット商品を作り出していました。
これ以前にもレンズ側に測距機構を組み、従来のFDマウント機でAF撮影が出来るNew FD35-70mm F4 AFやCCDセンサーを用いた測距機構(ファインダー内に前ピン、合焦、後ピンを表示する今のフォーカスエイド機構)をカメラ側に搭載したAL-1など、着々と確実に近い将来に来るであろうAF一眼レフカメラ時代に向けて準備を進めていました

が!

その中、「キヤノンにしては中途半端すぎる」「試作機か?」と言わざるをえないこのT-80が登場したのか?。

それは・・・同年2月のミノルタα7000発売

今でも語り継がれる【αショック】

ミノルタは高速AFを実現させる為にそれまでのマウント方式だけでなく、周辺アクセサリーまで含めて全く新しい「αシステム」に変更し勝負に出ます。
その結果、素早く動くAFに誰もが驚き、先進的なデザインやボタン操作、表示方法に世間は魅了され、1985年一眼レフカメラ市場でのミノルタシェアが「50%超」というかつてない空前の大ヒットを起こします。

しかしマウント変更は最後の手段と考えられており、正に打つべき手を全て打った後の「最後の一手」。

キヤノンもかつてレンジファインダから一眼レフへの移行期に迷走しシェアを取り戻すまで相当の時間を必要とした苦い過去があり、他にも苦しんだメーカーは数多く・・・。
成功したメーカーと言えば・・・ライカのMマウントとニコンFマウント・・・両者とも革命的な流れをカメラ界にもたらしたのは言わずもがな。

ミノルタは一眼レフでは比較的後発でありながらも、なぜここまでの革新的路線変更が取れたのか、Xシリーズに引き続きαシリーズの開発指揮を取られた吉山一郎氏は「この小さいSRマウントからの流れでは最早マウント変更以外無理な問題。しかし、今までからのミノルタファンの期待を裏切らない為にも完璧なシステムを組もう!」という先見性とユーザーの事も思った事からαで革命を起こせたのではないでしょうか。
それもですが、レンジファインダー機の時代「ミノルタ スカイ」というレンジファインダー機のフラッグシップ機を発売直前まで行っていながら、完成したばかりの試作品を手に渡米した当時のミノルタ社長田嶋氏が帰国後「もうレンジファインダーの時代ではないと」一眼レフに舵を切る流れを読む力、判断の力が昔からミノルタの社風としてあったからかもしれません。


その様な中、キヤノン開発陣も「EOSシステム」に向け着々と準備を進めていましたが、余りに既存のAシリーズ、Tシリーズが売れなくなっていた営業サイドから
「得意先行ってもミノルタ!ミノルタ!!ミノルタ!!!や!!!『キヤノンさんにもミノルタさんみたいにAF一眼が有ったらなぁ・・・ま、オートボーイたのんますわ!あれは売れるんで』なんて言わんねんで!こないだまで『NewF-1早よまわしてくださいよおお・・・』なんて言うたはったのに(泣)・・・俺らにもはよAF一眼売らせてくれや!ほんま頼むわ!!(大阪弁調)」
と悲鳴のような突きあげから何とか今すぐ出来るもので出そうと、既存マウントのFDベースで電子接点を組み込んだACマウントで急きょ開発、発売されたのがこのT-80とかなんて話もありますが、二か月遅れの発売ですので「AF一眼レフ市場のテストマーケティング」的な所も狙っていたのかもしれません。

ニコンでもF3AFでの経験もあって「今までのニコンユーザーにとってデメリットが多すぎる。AF機でのマウント変更は行わない。Fマウントでシステムが出来るまでAFはやらない!」という決定を下しており、後に世に出るAF機F-501と同時に開発を行っていたAF機構無しだけど、フォーカスエイドとニコン初のモータードライブ内蔵一眼レフ(市販では)F-301を先んじて発売したのですがαショックの前では白旗状態。
でも、なんでこんな保守的な開発法を採っていたのか・・・この当時「はたして一眼レフにAFは本当に必要なのか?」という考えが根底にあったからと言われております。

 

脱線多くなりましたが、T-80の話に戻りたいと思います


外観・機能

まず現在のEOSシリーズと比べてすぐに目に付くのがレンズの出っ張り

マウント方式やカメラ側の仕様を変更せずにAFを達成する為、必然的にモーターをレンズに組み込む事になります

発売時に用意されたレンズは3本 (50/1.8、 35-70/3.5-4.5、 75-200/4.5)

基本機能はプログラムAEを5種類で優先AEはおろかマニュアル撮影も省く徹底ぶり。

これは誰でも『気軽に簡単にいろいろな撮影が出来る』と考えこうなったらしいです。

それでいながらもフイルム感度の設定は手動。

手間をかけないのか、かけるのか詰めが甘いというか「とにかく急いで出した」印象は否めません

ライバル α7000がプログラム・両AE優先・マニュアルとフイルム感度自動セットを搭載し初心者はもちろんの事ハイアマチュアまで人気を博した事を考えると、どんなに急いでいたといえもう少し検討の余地があったのではないかと思いますが当時というかTシリーズのコンセプトが「自動化を追求」でしたのでそれも致し方なかったのかも知れませんが結果は・・・黒歴史

このように、何から何まで比較される事になったT-80 と α7000。

αを追撃する為に既存マウントで投入されたT-80ですが、急場しのぎ的な印象は拭えませんでした。

思い切ってマウント始めシステムほぼ全てを変更し、拡張性を高めたα7000の圧倒的勝利となります

その後、約2年間はミノルタがトップを独走する事になり王者キヤノンとしては受け入れがたい結果となった訳です。(その後ミノルタには思いもよらない事態が起きるのですが、またの機会に・・・)

そしてT-80はレンズのラインナップも増える事なくひっそりと表舞台から姿を消しますが、これらの要素がEOSシステムに受け継がれ完璧なまでにシステムを固めただけでなく、数十年先まで活かせる拡張性高い基本を築く事が出来たのは「慌てず、騒がず、着実に」開発を進めたキヤノン。

その意味でT-80は本当に大きな仕事をしたカメラだったと思います。

今回、T-80でカメラ今昔物語 お届けしましたが、掘り下げると一台一台のカメラの裏に歴史あり非常に興味深い所。

今後機会が有ればまたお届けしたいと思います。

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