1970年代の面影を残す街、千里中央【解体前の千里セルシーを撮ってみた】

こんにちは~。編集長 中村です。

今回はこちらについてのお話。

日本で初めての大規模なニュータウンとして構想され、1970年に完成した千里ニュータウン。

この千里ニュータウンのシンボル的存在であったという商業施設・千里セルシーは、大阪北部地震の影響で2019年に完全閉館となっていました。

今回はこちらの千里セルシーの解体がいよいよ始まるとのことで、記念に写真を撮ってまいりました。

わたくしが大阪に転勤してきたのが2019年の秋のため、千里セルシーが営業していた頃のことは何も知らない身の上ではありますが……。

千里セルシーのほかにも独特の建物が並ぶ、ユニークな街である千里中央の魅力を、写真とともにお伝えしてまいります~!

【千里ニュータウンおよび千里中央について】

さて、まずは「千里ニュータウン」の簡単な歴史的解説から。

千里ニュータウンは、日本で初めての大規模なニュータウン構想として建設され、1962年に最初の住人が入居しました。

戦後、都市部への人口集中が問題となるなか、欧米のニュータウン建設事例を踏まえて建設された街で、1962~1970年のわずか8年間という短い期間で建設されたとのこと。

千里ニュータウンの完成とほぼ同時期に、近くで日本万国博覧会(EXPO’70)も開催され、付近は急速に発展しました。

しかし、時が経ち、入居者の高齢化や施設の老朽化などが課題となり、ただいま再開発計画が進んでいるエリアとなっています。

千里ニュータウンの中心街である「千里中央」付近には、弊社の店舗「カメラのナニワ 千里中央店」も入居しているせんちゅうパルなどの商業施設が並びます。

先ほど名前を挙げた千里セルシーも、せんちゅうパルの向かい側にありますね。

交通アクセスとしては、地下鉄御堂筋線と相互乗り入れの北大阪急行電鉄で梅田(大阪駅近辺)から20分程度。

ちなみに、2024年3月末に北大阪急行電鉄が延伸となり、箕面船場阪大前および箕面萱野という新しい駅が生まれました!

都市部へのアクセスが良いため箕面萱野エリアは再開発と発展が進んでおり、人気エリアとなりつつあります。

【いざ千里中央へ!】

では、実際の街の様子をお見せしてまいりましょう! 

千里中央駅で電車を降りると、まず駅のホームのデザインが独特です。幾何学模様に蛍光灯が配置されていて不思議な感じ……。
駅のホームのすぐ上に飲食店街が立ち並んでいます。

こういう構造になっている駅、千里中央以外に見たことないかも……。
地下鉄の駅は商業施設・せんちゅうパルに直結しており、エスカレーターでそのまま施設内に入れます。

この赤と緑のカラーリングも独特ですね。
ちなみにせんちゅうパルの外観はこんな感じ。お城のような外観で、遊び心があってユニークです。
せんちゅうパルの向かい側には、これまた印象的な幾何学模様が張り巡らされた千里阪急のビルがあります。
弊社ブログの過去記事を見ているとこの千里阪急ビルが何度か出てくるのですが、本当に強烈なインパクトのある外観です……。

残念ながらこの千里阪急も、再開発の計画に含められているとのこと。具体的な解体スケジュールなどはまだまだ先のようですが、寂しいですね……。

【解体を控えた千里セルシーを撮る】

では、今回の目玉である千里セルシーに焦点を当てていきましょう。

こちらの千里セルシー正面部は、せんちゅうパルの2階バルコニーに隣接しています。
前述の通り、2019年に閉館となっていますが、オープンしたのはなんと1972年

古代ローマのコロッセオを模した建物の中央にはステージを設けた「セルシー広場」があり、かつては新人歌手やアイドルの登竜門であったとのことです。

いろいろなWEBサイトを見たり話を聞いたりしましたが、光GENJIや松浦亜弥、モーニング娘。やAKB48などの国民的歌手・アイドルがこのステージに登ったのだとか。
正直言うとあまりコロッセオに似ている感じはしないですが……。

直線が多くて無機的にも見える一方、ミツバチの巣のように有機的でもある構造は非常に独特ですね。

つくづく中に入れないのが残念……。
建物の中央部、よく見るとガラス張りで中にエレベーターが通っているのが分かります。

こちらのエレベーターは2018年の大阪北部地震の際に故障してしまったらしいのですが、そこから修理されることがないまま閉館・解体を迎えることになるようです……。

【夜の千里セルシーを眺める】

閉鎖された千里セルシーの前でしばし撮影していましたが、いかんせん中に入れないので写真のバリエーションが難しい……。

この1枚は、思いっきりヒキで撮りたかったのでせんちゅうパルの4階から撮影したもの。
だいぶ日も沈んで怪しげな雰囲気が出てきたので、別の角度からの撮影を試みていきます。

せんちゅうパル1階 地上フロアから、千里セルシーのまわりをぐるっと歩いてみることに。
写真を撮りに行った8/19時点では1階のせんちゅうパル・千里セルシー共用通路はまだ通行可能でしたが、8/20からもう封鎖されて通行できなくなってしまったようです。

1階地上フロアのシャッターの隙間から千里セルシーにカメラを向けると、薄暗い夜の雰囲気も相まって"廃墟"感がすごいありますね。
共用通路を抜けて、周囲をぐるっと回っていきましょう。

掲示板に書いてある「セルシー」のフォントに、時代を感じますね……。
側面から見ると、段々になっている建物の構造が正面よりも分かりやすいですね。

基礎部分がコンクリートむき出しになっているのも、20世紀感があって趣があります。
千里セルシーの裏手には、こちらも近々営業終了を控えている千里阪急ホテルも。

千里セルシーとこの千里阪急ホテル、さらに先述の千里阪急も含めてこのあたり一帯が再開発されるとのことなのですが、いったいどんな姿に生まれ変わるのでしょうか?
千里セルシーの真裏に来ました。室外機などがむき出しになっており、荒涼とした雰囲気ですね……。
裏側をしばらく歩くと、千里阪急の裏手にたどり着きました。

せんちゅうパルの姿も見えてきたので、もうすぐ一周回りきるかたちですね。
こちらもおそらく今は封鎖されて通行不可になっていると思われる、セルシー横の通路です。

何ともうら寂しい雰囲気ですね……。
千里中央駅に戻ってきました!

再開発が予定されているエリアをざっくり回れたので、今回の撮影はここで切り上げて帰ることに。

6時ごろに千里中央に着いたはいいものの、思ったようにうまく撮れなくてグダグダしていたら20時30分とかになってしまった……!

【”変わりゆく街を撮る”ということ】

という感じで、今回は千里中央の街と、千里セルシーなど再開発で消えゆく建物を撮ってきました。

広角端24mmスタートの高倍率ズームレンズで撮影に臨みましたが、あまり思ったように上手く撮れなかったので拙い写真で恐縮ですが……。
いかにも「1970年代っぽい」ようなちょっと今時では見かけないような建物が並ぶ千里中央の街は、何とも独特な雰囲気を漂わせています。

その中の大きな建物のひとつである千里セルシーの解体工事が始まり、これから街はどんな景観になっていくのでしょうか?
また、千里中央エリアでは高層マンションの建造も相次いでおり、これも街の景観を大きく変えていっているのは間違いありません。

北大阪急行電鉄の延伸もあって近隣地区の開発も進んでおり、一帯がこれからどんな風に変わっていくのかは未知数です。
それはさておき今回、この千里セルシー解体に伴い事前にいろいろ検索してWEBサイトなどを見てみましたが……。

「人で埋め尽くされたセルシー広場」の写真などを見て、解体間際のいまの様子とうって変わっての盛況ぶりには驚かされました。

気になる方は、こちらのサイトをはじめとしていろいろなところで写真が残っているのをご覧いただけます。

記録が写真として残っていること」の持つ力も実感しましたし、今回写真を撮りに行って紹介できたことにも意義があったのかなと思うなど。

戦後日本の、大阪の、発展を象徴する街の節目を、大阪拠点の企業として記録できたことを嬉しく思います。

さて、いろいろと長くなりましたが今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

また次回のブログでお会いしましょう~!!